Sinの対人恐怖症奮闘記

僕が患っている、社交不安障害(対人恐怖症)、依存症などについて、自分の体験を踏まえて書いたブログです。

閉鎖病棟での生活。そこで何が行われているか。

 


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閉鎖病棟のなかは、意外と平和

保護室にはいって約一週間、ようやく閉鎖病棟に移りました。

 

 

これで自由だ、、とはいっても閉鎖病棟

 

 

窓には策があり扉には鍵がかかっていてその都度看護師が鍵で開け閉めしていました。

 

 

病棟内にいる患者は、それぞれうつ病統合失調症など色々な病気を抱えている人がいましたが、

一見みんな一般人のようにおだやかでした。


入院しても薬を止める気はなかった、、

 

 

精神病院に入院したことで、僕は多少なりともショックをうけ、

 

 

また、その事を反省してもいました。

 

 

しかし、反省のベクトルがずれていました。


今回は使い方を誤ってしまった。今度はきちんと用量を考えて使おう

 

 

と考えていました。

 

薬をやめる気はなかったわけです。

 

 

その頃の僕は抗不安薬の威力に陶酔していました。

 

あれさえあれば、もう自分は不安とはおさらばだ、、、

 

 

これで自分はリア充になれる、、

 

 

そんな願いからどうしても薬をやめるという選択はできませんでした。


病棟には本棚があり、そこにはなぜかジョジョが一冊だけあり、それはあの暴君DIOとの決戦を描いた巻でした。

 

 

それを読みながら、自分は人間的な弱さを薬で克服した!

 

俺はDIOみたいに超人間的に生きる!

と未熟な決意をしていました。

 

 


入院している最中は、僕は毎日ホリゾンという薬を処方されていました。

 

 

 

その理由は乱用していた状態から一度にゼロにしてしまうと

 

 

 

大きな離脱症状がでるため、少しずつ薬を抜いていくためだそうです。

 

 


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病棟のなかは、基本的に平和でみんな退屈していて、

 

 

 

僕は、二人のおじいさんによく構ってもらい、将棋やトランプに明け暮れていました。

 

 

 

片方のおじいさんはアル中で酒を飲んでいたら急に目の前に

巨大なカブトムシが現れ、あわてて病院に入院したんだそうです。

 

 


またある若いおじさんは会社に勤めていたものの急に自殺衝動が湧いて入院したという方もいました。

 

 

 

依存症の根は深かった

 

 

一方僕は、退院したらどのように薬を使っていくかを真剣に考えていました。

 

 

そこで思い付いたのが、いくつかの種類の抗不安薬

ローテーションさせながら使うというやり方です。

 

 

実際にはどれを使っても同じように耐性はついてしまうのですが、

当時は

これである薬で耐性がついても次の薬にいけば耐性がなくなるから

永久につかいつづけられる。

 

 

そんな妄想に耽っていました。

 

 


最終的に僕は入院して1ヶ月ほどで退院しました。

 

 

その時、僕は笑顔で

ありがとうございました。これからは使わないで生きていきます。

そう言い残しました。

 

 


そして、家に荷物を持ち帰って貴重品のなかにあった筆箱をみると、

 

なんとなかに薬が入っていたのです。

 

 


これをみて、僕はさっきまでの言葉とは裏腹にあっさり使ってしまいます。

 

 

 


なんでも病気のせいにしてしまうつもりはありませんが、自分はこの時どうやら

 

 

すでに依存症という死神にとりつかれていたようです。

 


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そして再び使いながら学校へ、、

再び学校へ通い初めます。
みんなは暖かく迎えてくれました。

 

 

僕は周りには自律神経失調症で入院していたということにしていたのです。

 

 

だけど、そんな日々はすぐに終わりました。

僕は家で酒と薬を一緒に飲んでいました。

 

 


そして次の日、二日酔いの状態で自転車で登校中に

転倒してしまうのです。

 

 


この時、打ち所が悪く、したの歯が唇を貫通するというケガをしてしまいます。

 

 

その後大学病院にいき、ぬってもらうわけですが、

 

 

その際に血液検査をされました。

 

 

その結果、基準値を上回るアルコール反応がでてしまったのです。

 


このことは担任、教授にもつたわり、重く捉えられました。

 

 


そして、その結果、僕は大学を休学せざるをえなくなりました。

 

 


それでも、僕は前向きでした。薬が効いているからなのですが。

 

 


このあとも僕は別の大学へいくのですが、病気はますます進行していきます。

 

 


この後のことはいつか機会があれば、話そうとおもいます。

 

 

ここまで読んでくれた方々、拙い文章でしたが本当にありがとうございます。